シャーロック・ホームズ物語といえば、何故かコナンドイルの本編以上にパロディが充実していることでも有名だったりします。そういう意味では、本編を読み終わった後も、違う人の書いたホームズを読める楽しみがあるということで、ファンにはうれしいことなのですが…。
そんなパロデイの中でも、ここでは
ホームズやワトスンの生涯を伝記のように描いた二冊の本を比較しながら紹介していきます。
まずは古典的とも言えるW・S・ベアリング=グールド著
シャーロック・ホームズ―ガス燈に浮かぶその生涯。
ドイル著のホームズ物語は、物語の発表順(本の発行順)=事件の順番でないことは有名な話で、じゃあ本当はどんな順番だったのかというのは、常にファンの心を悩ませ、マニアの探求心をくすぐるものらしいですが、現在基本の順番とされているのは、この人の著作が基準になっているようです。
そして、この本から数十年後の2001年に発売されたのが、J・トムスン著
ホームズとワトスン。ベアリング=グールドの説の他、様々な説を上手く取り入れながら、新しいホームズの伝記を作り上げたと言ってもいいでしょう。
では早速この二冊を比較してみます。
最初に
本の基本的スタイルの違いから。
ベアリング=グールドverは、タイトル通りあくまで描くのは
ホームズのみです。ワトスンのことも語られてはいるものの、パートナーとして、付随的に触れられているような雰囲気です。
一方トムスンverは、これもまたタイトル通り、
両方同じように人生を追っています。ワトスンの子供時代はどんなだったのか、趣味趣向はどんな感じか…などなど、そういえばワトスンの人生についてちゃんと触れている本ってちょっと珍しいかもと思いました。
次に、
事件の発生した順番について。
ベアリング=グールドverは、あくまで
事件簿に描かれた供述に従っています。これに従うとワトスンの結婚の記述とか、いろいろおかしな部分も出てくるのですが、そこはいろいろと想像をふくらませて、上手いことつじつまを合わせてあります。
一方トムスンverは、事件簿に描かれた供述を踏まえながら、これはワトスンの記憶違いや書き間違いではないか?という考察をしつつ、
不自然にならない順番に並べ替えているような印象です。
例えば、原作では、四つの著名で、ワトスンはメアリ・モースタンと知り合って結婚し、ボヘミアの醜聞で、結婚後久しぶりにホームズの下宿を尋ねる…というストーリーになっていますが、日付をよく見ると、ボヘミアの醜聞の起きた日は、四つの著名より前であるという
奇妙な矛盾が生じています。
ベアリング=グールドは、この矛盾について、あくまで事件はこの順番で起きたものとして、ワトスンはメアリと出会う前に違う人と結婚して、その後死別、それから四つの著名でメアリと出会って再婚した…という風に解釈していますが、トムスンは、原作に書いてあるボヘミアの醜聞の起きた日付1888年の方が間違っていて、実際は1889年だったはずと解釈し、ワトスンはあくまでメアリと出会い結婚してから、この事件が起きたのだと主張しています。
↑ホームズ物語は全編通してこの手の矛盾が非常に多いです。有名な赤毛組合なんか、同じ話の中で日付のおかしい部分があるしw
ドイルの担当編集無能すぎ…というか、仕事してなかったんじゃないのか!?
とはいえ、某エヴァと一緒で、不完全だからこそマニアにとっては探求しがいがあるのかもしれない…と思ったりして。結論を述べると、ベアリング=グールドverは
原作の記述に忠実に従い、トムスンverは
原作の雰囲気に忠実に従っている…ということでしょうか。
どちらが好みかは人それぞれですが、私は個人的にはトムスンverの方が原作のホームズやワトスンの雰囲気に合うような気がしています。
ワトスンがメアリと出会う前に違う人と結婚してたなんて、やっぱりちょっと違う気がするし、きっと原作を書いたドイルもそんなこと考えてなかったような気が…。
ベアリング=グールドverは、読み物としては面白いけれど、
発想が飛躍しすぎな印象もあります。
ホームズとマイクロフトの上にさらにシェリンフォードという兄がいたなんて、ほとんど
妄想だしw
とはいえ、好みは本当に人それぞれだし、
二冊を読み比べるとかなり面白いです。二人とも細かいとこよく調べるなぁーと感心すること間違いなし。
ちなみにBBSのシャーロックの製作者も、ベアリング=グールドverを参考にしているようなので、一読しておくとより楽しめそうです。
(特にS3E3最後の誓いに出てくる
ホームズのフルネームとか、マイクロフトが語る
もう1人の兄弟の存在とか…)
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